【バレエが有名な国はどこ?】発祥の地や歴史的な背景、日本への影響についてご紹介!

【バレエが有名な国はどこ?】発祥の地や歴史的な背景、日本への影響についてご紹介!

バレエが有名な国ってどこだろう?

バレエの発祥の地や歴史的な背景について知りたい

バレエに興味がある方、あるいはバレエを既に習っている方の中には、このような疑問を抱いている方も多いのではないでしょうか。

今や日本全国で有名なバレエは、元を辿ると海外で深い歴史があり、日本で普及するまで様々な変化/変容がありました。

そこで今回は、バレエの発祥の地や歴史的な背景、バレエが有名な国などについてご紹介します。

バレエに興味がある方は、ぜひ本記事の内容を参考にしてみてください。

バレエとは?

まずはじめに、バレエについてご紹介します。

バレエとは、音楽と舞踊が融合した総合芸術であり、華やかな衣装や繊細な身体の表現を通じて物語や感情を演出する芸術のことを指します。

通常、踊り手は専用のトウシューズを履き、つま先立ちで行う動きや身体の軸を意識したターンなど、高度な技術を駆使して優雅さと力強さを同時に表現します。

また、バレエにはクラシックバレエやコンテンポラリーバレエなど様々なスタイルがあり、それぞれに異なる歴史的背景や表現方法があります。

芸術性はもちろん、肉体を極限にまで鍛え上げるスポーツ的な要素も大きく、基礎練習の積み重ねによって美しい姿勢や柔軟性、正確な動きが磨き上げられているのです。

現代においては世界各地で多彩な公演が行われ、伝統を重んじつつ新しい表現方法も積極的に取り入れられるなど、時代とともに進化を続けながら多くの人々を魅了する芸術の1つと言えます。

バレエが有名な国

ここでは、バレエが有名な国について、以下の4カ国をご紹介します。

  1. イタリア
  2. フランス
  3. ロシア

各国におけるバレエの在り方や特徴について知りたいという方は、ぜひ本章の内容を読んでみてください。

①イタリア

バレエが有名な国の1カ国目は「イタリア」です。

イタリアは、バレエの発祥地としても知られ、その起源はルネサンス期にまでさかのぼります。

宮廷の祝宴や仮面舞踏会など豪華な催しで披露された踊りが、後にバレエへと発展する土台になったのです。

イタリアからフランスやその他ヨーロッパ諸国へ多くのバレエ教師やダンサーが渡り、各地のバレエの発展に影響してきました。

そうした背景もあり、イタリアはバレエが有名な国の1つと言えるでしょう。

バレエの歴史については、後ほど改めてご紹介します。

②フランス

2カ国目は「フランス」です。

フランスは、イタリアで生まれたバレエの発展に大きく関わった国の1つです。

17世紀にルイ14世が「王の踊り」として体系化したバレエは、同国内において 優雅さや技術の精密さ を演出するものであり、クラシック作品の継承や伝統的な技法への遵守が重んじられます。

また、日本とは違い公的な支援が手厚い点も特徴で、バレエやオペラで知られる「パリ・オペラ座バレエ団」は、国が運営する「芸術の殿堂」として広く認知されています。

③ロシア

3カ国目は「ロシア」です。

ロシアも、フランスと同様にバレエの発展に大きく関わった国であり、イタリアで生まれたバレエはフランスで変化を経て、やがてロシアで完成されたとも言われています。

1700年前後にフランスからの文化の輸入が盛んとなったロシアでは、1738年には初となるバレエ教室が誕生し、瞬く間にその芸術が広まりました。

現代でも、ロシアでは優秀なバレリーナを育成するためのアカデミーが多くあり、厳しい選考や教育が施されています。

バレエの歴史的背景

本章では、バレエの歴史的背景について、その誕生から現代のスタイルまでの経緯について、以下の4つに分けてご紹介します。

  1. イタリアでバレエの起源となる踊りは生まれる
  2. フランスで「バレエ」が発展
  3. ロマンティックバレエが誕生
  4. ロシアで発展し、現代のスタイルへ

①イタリアでバレエの起源となる踊りは生まれる

前述したように、バレエはイタリアが起源となり誕生しました。

ルネサンス期(14世紀〜16世紀)頃に踊られていたダンスが起源と言われているバレエは、貴族による社交ダンス「バロ」から発展しました。

この「バロ」は、当初音楽に合わせてゆっくりと踊る優雅な舞踊で、イタリアのフィレンツェやヴェネチアなどの地域から、徐々に西ヨーロッパへと広がっていきます。

かの有名な画家であるレオナルド・ダ・ヴィンチが開催した舞台でバレエが上演されたことも、バレエがその後世界的に広く浸透した要因の1つです。

②フランスで「バレエ」が発展

イタリア各地で有名となったバレエは、やがてフランスでも広まります。

現在私たちが聞き馴染みのある「バレエ(ballet)」という表現も、フランスで生まれた言葉です。

その背景として注目すべきなのが、ヴァロワ朝第10代フランス王アンリ2世に嫁いだカトリーヌという名前の女性です。

カトリーヌは、イタリアのフィレンツェに生まれ、幼い頃からバレエが大好きであったため、アンリ2世の妻となった後も宮廷内で舞踏会を何度も開催し、バレエをフランス中に広めました。

また、1643年にフランスの国王となったルイ14世も、バレエを愛し、自ら踊っていたとも言われています。

しかし、18世紀の後半に起こったフランス革命によってオペラ座が火災に見舞われ、フランス国内でのバレエ文化は一度勢いを失います。

④ロシアで発展し、現代のスタイルへ

一度は勢いを失ったバレエですが、ロシアにてその文化が再び花開きます。

そこで大きく関わっていたのが、フランス出身のバレエダンサー兼振付家であるマリウス・プティパで、彼は作曲家のチャイコフスキーと共に様々なバレエの大作を生み出します。

その後、バレエの衣装や技術、スタイルは時代と共に様々な発展を遂げ、自由な振り付けや作風も徐々に増えていきました。

日本ではどのようにして広まった?

日本のバレエの歴史は1911年、帝国劇場の開場記念公演『フラワー・バレー』から始まったと言われています。

翌年には、イタリア人舞踏家G.V.ローシーが来日し、日本人へのバレエ指導を開始しましたが、当初は定着が難しい状況でした。

転機となったのは1916年のマリインスキー劇場の来日公演と、その後のロシア革命です。

革命を逃れて1919年に来日したエリアナ・パブロワは、横浜で公演を行い、後に鎌倉でバレエ教室を開設しました。

1922年には著名なバレリーナ、アンナ・パブロワが来日し、「瀕死の白鳥」を披露。

この公演は、芥川龍之介をはじめ多くの日本人に感銘を与えます。

そして、戦後の日本バレエ界で重要な役割を果たしたのが小牧正英です。

ハルピン音楽バレエ学校で学んだ小牧正英は、1946年に東京バレエ団を結成し、日本初の『白鳥の湖』全幕上演を成功させました。

また、「バレー」から「バレエ」への表記変更や、「白鳥湖」を「白鳥の湖」とする日本語タイトルの改称も小牧正英の功績です。

このようにして、日本でも多くの人の関心と努力によって、徐々にバレエは全国的に有名となったのです。

バレエを始めよう!

いかがでしたでしょうか。

今回は、バレエについて、発祥の地や歴史的な背景、バレエが有名な国、日本で広まった背景などについてご紹介しました。

バレエは、今でもなお多くの人に愛されている踊りであり、その美しさや芸術性は見ている人々を魅了させるものです。

また、林あゆみバレエスタジオでは、初心者から経験がある方まで、バレエに興味を持った様々な人が集まり、日々バレエを楽しんでいます。

ご興味のある方は、ぜひ一度足を運んでみてください!